yonayonayoneの日記

毎日の日記。気づきや調べたことのまとめなど。

2月25日(土)

今日は転職相談会に参加していた。作品の発表をした人に混じって、企業の人と話させてもらうことができた。名刺とか作っててよかったと思う。

また、話をさせていただくことも、前もって確認や連絡をしていたのがよかったと思う。「こんなこと言って嫌われないかな、変だないやだと思われないか」と思い込んでいたけれど、よくよく考えると、たとえそう思われても、別に問題はない、死んだりもしないよね、と、妙に冷静になれる自分がいた。この事は、言葉ではずっと前から、本などのいろいろな媒体で学んではいたけれど、最近になってやっと浸透してきたように思う。それくらい、思い込みを抜け出すのには時間がかかることもあるんだなと思った。ただ浸透し始めると受け入れていけるようになるまでは割とすぐなのが実感としてある。

私は慣れるまでが長くて、慣れたらすぐできることが多いような気がする。そういうことにも気づけたように思う。

ただ集中すると周りが見えなくなるところがあって、自分の作品について話すことに集中しすぎて、一緒に参加していた方に話を振ったりすることができなかったのが、悪いことしたかもなと思っている。話の全体像をつかむことや、時間配分を考えながら話すことが、今後の課題だなと思う。

やはり昨日夜更かししてしまったことがよくなかったのか、人と話した後で頭がオーバーヒートしたのか、頭とお腹がつっかえていて、2時間くらい、強迫的にうろうろと歩き回ってしまう。(なぜか太っているから運動しなければならないと思う)この2時間で今日の振り返りとか、新しいアクションとか起こす時間が確保できたんじゃないかと思うといつももったいない気がする。自分を許せる範囲で緩めていけたらいいが・・・。欲張らない方がいいのかもしれない。むしろそうやって気持ちに整理をつけて、また現実に向き合うエネルギーを補充しているのかもしれない。

思ったよりもイラストのウケがいいことには最近驚いている(下の図は2021年に描いた年賀状イラスト)。一番興味のあることだし、続けていたことだったので、個人的にもうれしい。どこまで調子に乗っていいのかわからないけれど、努力することから逃げなければ調子に乗ってもいいのかもしれないと思った。絵をあきらめていた時期もあったけれども、細々と年賀状やメッセージカードだけでも描いたりして見せられるものが貯められていてよかった。これも、自分に少ないけれども、友達や家族がいてくれたおかげだと思う。それに改めて、しっかり感謝したいし、その恩は自分の作品で返していけたらいいのかもしれないと思った。

 

2月23日(木) 散歩と自己否定について

朝散歩しているといろいろなことが頭にわいてくる。

身体を動かすことはいいことなのだろうと思う。

 

散歩しながら「家族のあの人は体調大丈夫かな」とか、「最近あそこに顔だしてないな」とか、「本当は別にするべきことがあって、自分はそれをやっていないんじゃないか」とか、考えている。

気づくとどこまでも、自己否定的に考えてしまう癖がある。これは「ドアのカギをかけていないのではないか」という強迫観念と似ているような気がする。ほかの人もそういう癖はある人が多いのではないかと思う。ほかの人の自己否定的な観念はどんな感じで浮かんでくるのだろう。

私の場合は、他人の目をきにしていたり、自分の今取り組めていない(仕方がない部分でも)ことに関して、「今日人に会っていない、人と会うことから逃げて、自分の課題から逃げているのではないか」「あの人にいやな言い方をしてしまった」「私のこと嫌いなんだろうけど無理して対応させてしまった」みたいなことがずっと浮かんでいる。

今考えてみると、逃げることがいつも悪い/いいことなのかどうかとか、その人のいやなことが自分にどうしてわかるのかとか、いろいろ突っ込みどころ満載である。しかしその観念の中にいるときはそれが考えられないのが、厄介なところだと感じる。

2月22日(水)

 昨日、ある職業支援機関に行って、カウンセラーの人に、これまでの自分のことを2時間くらい、話した。とても多くの気づきがあったので、記録してみる。

 

1. 支援機関で話したことについて

 支援機関では、幼少期から、就職、退職までのことを話した。その話の中で、いくつかポイントになったことがある。3つ箇条書きしてみる。

 

①自殺を考えたり、強迫性障害を発症したりした時は、自分のキャパシティーを超えている時と重なっている。

② 話したり、行動する前に考えすぎてしまう癖があるので、考えずに行動する経験をしてみるのがいい。

③「こうあらねばならない」という信念を持たない方が、柔軟性があって生きやすい。

 

 1については、大学生の時や、就職後の時に、具体的な症状がでていた。キャパシティオーバーして、その時人に相談できればよかったのだが、あまりだれにも相談せずに自分の中で解決しようとしていた。人に相談したり、頼ったりするのがしんどい、恥ずかしい、怖い、頼った見返りを返せるのかどうか考えてしまって面倒になるなど、があってできなかった部分もかなりある。

 何か行動しようとしたときに、考えすぎる癖があるのだと思う。それについては、最近「5秒ルール」という本についての動画で、「5秒以内に思いついたことの行動をはじめてしまうと考える前に行動できるようになる。」という話を聞いたので、それを試してみようと思う。

 3については、定期的に、「本当にそうなのか?」と自分を疑ってみるのがいいとアドバイスをもらった。働いていても、3のように柔軟な考えができるほうが、ストレスの影響を受けにくいという。

 

2. 困りごとについて

 また、話していて明確になったのだけれど、私のずっと抱えてきた困りごと、悩みは、「人より動きや、言葉を発するのが遅い」こと、「優先順位をつけながら、チームに連絡をとって調整するのが苦手」ということだった。

 これらについて、親や先生など、小さな頃他人に責められたりすることが多く、ずっとコンプレックスになっていた。だから「ゆっくりしているね」と言われると、相手にはそんなつもりはなくても、「ああまた遅くなってしまった」と罪悪感を感じる。おそらく完全には治らないし、治す必要が本当にあるか、というと、そうとは限らないのかもしれないと最近思う。

 仕事などで、遅くなると困る時は、努力として、先ほどの「5秒ルール」を繰り返していくことや、相手に提示する締め切りを遅めに設定して、自分の締め切りをそれより前倒しにすることがいいと思う。発語とか運動のスピードは生まれつきもあって、カメがうさぎと同じ速度で走れないみたいに、それを責める環境は避けた方が無難かもしれないと最近思う。

 私のペースが合わない人は離れていいし、結果としてこのペースが合う人、それを受け入れられる人が、私の周りには残ってくれているのだと思う。そのことにはしっかり感謝して、それでいいのではないかと思う。

 

3. イメージが鮮明によみがえるフラッシュバックについて

 話していて、相手のカウンセラーの方が、「yonayonayone(実際は本名)さんはご自分をとても客観的に見れている。人間関係の中での立ち居振る舞いに気になるところがあるようだが、コミュニケーションも、困難なレベルではないと思う。」と言われた。自分が気にしすぎている、責められたイメージを頭に鮮明に残してしまっているために、自信をなくしていたのだということが分かった。イメージが鮮明に張り付くのは発達障害の特性であるという。それは知らなかったので、早速調べてみる。

 詳しい話は省略するが、ASD自閉症スペクトラム)は、脳の構造上、一度体験した出来事の神経回路が残っている。そのため、ふとしたきっかけで再現されてしまう、いわゆるフラッシュバックが起こりやすいらしい。周囲の環境を整えること(いじめなどがない、理解してもらえる、配慮してもらえる環境)が一番の対処法のようだが、子供のころそれができなかった現実がある。

 今まで、やってみようかな、ということがあったとき、死ぬような大きな不安を感じていた。それは、人間関係に接していく可能性が少しでもあると、人からいじめられたり責められたりした時の、あの独特の「ガーン」というショック状態、痛みが毎回想起されていたからなのだとわかった。生きるために、挑戦を避けて保守的になっていたのだということが分かって、自分の努力がたりないせいではない、自分を責めなくていいのだと少し心が楽になった。

 今からは、周囲の環境を自分で整えていくことができる。言葉で、「自分は何が得意で、苦手で、こういったことは配慮してもらえると嬉しい」と伝えていくこと、そのための言語化の作業が今後必要な努力なのだろうと思った。

 

4. さいごに

 自分について振り返り、話すのは、時にはしんどい記憶をよみがえらせる作業も必要になったが、話せてすごくよかったと思う。長い時間、私のつたない表現を受け取り、かみ砕いて話してくださった、相手のカウンセラーさんにはとても、感謝している。